日本人の思い浮かべる世界三大美女といえば、クレオパトラ、楊貴妃。そして、小野小町。「小町」という呼び名は、「美人」の代名詞としても親しまれてきました。仁明天皇に愛された絶世の美女。しかも和歌の才能に秀でている。小町の「美女」「才女」という伝説は後世にも広く伝わり、数多くの伝説が生み出されました。美と才能で多くの男たちをもてあそんだ高慢な女。結局、恋は実らずに孤独な晩年を送り、老いぼれて醜く放浪の果てに死ぬ、悲しい最期……。
しかし、彼女がいつどこで生まれ、どんな生涯を送り、どのようにその人生を閉じたのか、確かに裏付ける史料は残っていません。小野小町という女性の存在を証明するのは、彼女が残したほんの数首の和歌ばかり。
ここ随心院は、小野小町が余生を過ごした場所といわれています。
晩年の小野小町が、どこでどのように歳を重ね、どんなふうにこの世を去ったのか。それを裏付ける史料も何ひとつありません。後世の人々は、小町に哀しい老後の姿を結びつけました。「美人薄命」と言われますが、美しいまま若くして死ぬという物語は、小町には許されませんでした。かつての美しさは見る影もなく、醜く老いて孤独と貧困の果てに亡くなったという物語が多く残されています。
しかし、すこし想像してほしいと思います。
年老いた小町が、遊びにやってくる子どもたちに、過去の恋愛話を話す様子を。
たとえば、小町と深草少将との伝説。これは有名なエピソードで今でも語られます。これには二つの結末があります。
深草少将が、小町の美しさに見惚れ恋文を送り続けました。そこで小町は、「私の屋敷に百日間、一夜も欠かすことなく通いつめてくださったら、あなたの想うままになりましょう」と返事をした。
すると、少将は訪れた証拠に、榧(かや)の実をひとつずつ門前に置いていきます。その実が99個になったとき。百日目のその夜は大雪だった。少将は、現れなかった。裏切られたと思った小町は、後日こんな話を聞きます。雪の中で見つかった亡骸の手の中には、握りしめられた榧の実がひとつあったことを。
この話には、もう一つの結末があります。
百日目の夜は、門を開けて少将さまをお迎えしようと、準備をしていた小町。よく人影を見ると見知らぬ人が。なんとその人は、少将の従者であるという。こっそり従者を通わせていた、しょせん男なんて、こんなものよね!と愛想を尽かしてしまうエピソード。
小町と深草少将との伝説は、悲しい恋として語られることが多い物語。しかし、随心院に伝わる「はねず踊り」で歌われる結末は、まるで笑い話のよう。もしかすると年老いた小町は、遊びにやってくる子どもたちを楽しませようと、かつての恋を面白おかしく物語っていたのかもしれません。