大原はもともと、都の戦乱から逃げ延びてきた女性や、敗走してきた兵たちを癒してきた土地だった。平清盛の娘で高倉天皇の皇后だった建礼門院は、平家没落とともに京の都を追われ、ここ大原の地で隠棲したと伝えられている。また、平安時代から鎌倉時代にかけて、現生の煩わしさを儚んだ多くの皇族や貴族、そして武士や文人たちが大原の里へと住処を移し、隠れ住んできたという歴史を有している場所なのだ。
また、古くから交通の要所でもあり、韓国と日本を結ぶ交易地である若狭と、京の都を結ぶ若狭街道の道中だったことから物流拠点としても栄えた。現代でいえば出張のビジネスマンや物流トラックが行き来する幹線道路沿いの郊外都市ともいえるだろう。
そしてなにより、大原は天台声明の発祥地。融通念仏宗の開祖である良忍という僧侶によって天台声明の道場が開かれている。お経を歌のように唱える声明は、いわば仏教における賛美歌のようなもの。美しい音楽に乗せて仏の教えを民衆に広める役割を担ったという。お堂に響き渡るその厳かな歌声は、貴族や武士のみならず多くの民衆に心の救いと平安を与え、長きにわたって人々を癒してきたことだろう。