勝持寺の桜♪通称「花の寺」桜をこよなく愛した西行法師お手植えの桜・西行桜(京都西山)

勝持寺(しょうじじ)は、平安時代の歌人・西行(さいぎょう)が出家し庵を結んだ寺としても知られており、西行により一本の桜を植えられたことにより、別名「花の寺」とも呼ばれています。
境内には、西行お手植えの桜の3代目である「西行桜」をはじめ、ソメイヨシノを中心に約100本の桜が全山を花で埋めつくすように咲き誇り、鄙の地に佇む古寺の堂宇を薄紅色に染め上げます。
【例年の見頃】3月下旬~4月上旬
<西行法師>
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士であり、僧侶、歌人。
俗名は佐藤義清(さとうのりきよ)と言い、鳥羽上皇に仕える北面の武士でした。
23歳の時に妻子を捨て勝持寺で出家し、円位と名乗り、東山・嵯峨・大原野・鞍馬などの寺や庵に暮らしました。
諸国巡礼の旅では多くの和歌を作り、生涯で約2090首の歌を残し、230首が桜を詠んだものです。
文治6年<建久元年>(1190年)、河内国の弘川寺において、2月15日に73歳で入寂。
辞世の歌「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」は西行法師が詠んだ和歌の代表のひとつ。
「新古今集」には94首が入選し、入撰数第1位です。約1,600首を収めた「山家集」でも知られています。

勝持寺ご由緒

山号を小塩山大原院(おしおざん だいげんいん)といい、飛鳥時代の白鳳8年(679年)に天武天皇の勅によって神変大菩薩役の行者(役小角/えんのおづぬ)が創建したのが始まり。
平安時代の延暦10年(791年)に最澄(伝教大師)が桓武天皇の勅を奉じて堂塔伽羅を再建され、薬師瑠璃光如来を一刀三礼をもって刻まれて本尊とされました。後に文徳天皇が大原野神社の別当寺として復興し、大原院勝持寺と改めました。
承和5年(838年)仁明天皇の勅によって塔頭49院を建立されましたが、応仁の乱の兵火に遭い、仁王門を除きすべて焼失。現在の建物は応仁の乱後に再建されたものです。
瑠璃光殿(宝物館)には、御本尊の薬師如来像(重要文化財)、御本尊の胎内より発見された像高9.1cmの薬師如来像(重要文化財)、山麓の仁王門に安置されていた湛康・慶秀の作の金剛力士像(重要文化財)をはじめ、日光菩薩像・月光菩薩像・十二神将像(薬師如来の眷属仏)が安置されています。

写真提供:おもてなしタクシー

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(情報提供:とっておきの京都プロジェクト事務局)

スポット情報

エリア名西京
スポット名勝持寺(花の寺)
所在地京都市西京区大原野南春日町1194
アクセス①JR桂川駅・阪急洛西口駅より京都市バス9系統(南春日町 洛西バスターミナル行)乗車、南春日町バス停下車徒歩約20分
②JR向日町駅・阪急東向日駅より阪急バス(南春日町 洛西バスターミナル行)乗車、南春日町バス停下車徒歩約20分
拝観時間9:30~16:30(16:00受付終了)
※毎年2月は拝観休止(閉門)
拝観料大人:500円、中高生:400円、小学生300円
TEL075-331-0601
URLhttp://www.shoujiji.jpl