ブラタモリ 東海道“五十七次”の旅▼第一夜 京都・三条大橋から伏見へ(11月2日)
“道”をたどる新たなスタイル♪三条大橋から伏見へ
街歩きの達人・タモリさんが“ブラブラ”歩きながら、知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫る「ブラタモリ」が、11月2日(土)、3日(日祝)、4日(月祝)の3日間にわたり8か月ぶりに帰ってきます。
しかも番組史上初の三夜連続で放送!今回、新たに注目したのは「道」。
江戸時代に整備された“東海道“五十七次”の旅”を歩き、街から街へと移動することで、それぞれの街の魅力や個性を解き明かします。
三夜連続で道を歩く旅。スタートは京都、ゴールは大阪です。
旅のパートナーは広島局の佐藤茉那(さとう まな)アナウンサー(2020年入局)。
“街道をゆく”タモリさんにご期待下さい!
【タモリさんからメッセージ】
道は面白いです。自然にできたものもあれば、つくったものも両方ある。
特に分かれ道が良かった。いい三差路に出会えました。
○放送日程(総合)
【第一夜】京都・三条大橋から伏見へ
2024年11月2日(土)19:30~20:15
三夜連続スペシャルの第一夜は「京都・三条大橋から伏見へ」
8か月ぶりの旅の舞台は東海道“五十三次”ならぬ“五十七次”。
旅のお題は「東海道“五十七次”の旅~行けばわかるさ 徳川の思惑~」。
もうひとつの東海道との分岐点で江戸時代に大ヒットした街道土産とは?タモリ絵師に挑戦!カワイすぎる鬼の絵が完成!?
伏見の船旅で発見したのは豊臣秀吉の町づくりの痕跡。さらに徳川家康のハンパない伏見愛がわかる!
誰もが知っているあの和スイーツは街道のおかげで広まった!?
伏見の案内人は、伏見生まれの伏見育ち、伏見城研究会会長で京都府立京都学・歴彩館資料課の若林正博氏です。
★第二夜 京都競馬場と石清水八幡宮へ(11月3日)
https://totteoki.kyoto.travel/44056/
三条大橋
旅のスタートは三条大橋。三条大橋が歴史に登場するのは室町時代、応永30年(1423年)に三条橋の造営料を幕府が、朝廷に仕える臣下に課したと記載が古文書に残っています。
安土桃山時代の天正18年(1590年)に豊臣秀吉が増田長盛に命じ、日本初めての石柱橋として三条大橋を架橋しました。
今も天正年間の大改造の際に使用された、旧三条大橋の石柱が橋の西詰(鴨川右岸)に残っています。
江戸時代に徳川幕府は三条大橋を東海道五十三次の西の起点とし、重要な交通上の要衝となりました。
「鴨川の水に山法師、さいの目」と、白河法皇が自らの意のままにならない「天下三不如意」に挙げた鴨川は暴れ川で度々氾濫を繰り返し、約200年で20回を越える洪水が起き、流失しましたが、幕府が管理する公儀橋としてすぐに修復されました。
江戸時代には35回の改修工事が行われたと記録に残っています。
いかに三条大橋が重要視されていたかを物語っています。
現在の橋は昭和25年(1950年)に完成し、長さは74m、幅16.7mの鋼製。令和6年(2024年)に補修・修景工事が完了し、欄干の木材は京都市内産の「みやこ杣木」で新調されました。
髭茶屋追分(大津追分・山科追分)
タモリさんが「特に分かれ道が良かった。いい三差路に出会えました。」とのコメントの場所。
東海道と伏見街道(奈良街道・大津街道)との分岐点の三差路(三叉路)。大津市と京都市の境界で、大津追分、山科追分とも呼ばれています。
昨年に山科編が放送され、京都から大津までの東海道に敷かれた「車石」がクローズアップされています。
追分とは、道が二つに分かれる場所をさす言葉で、もとは馬子が馬をを追い分けることに由来していると言われています。
江戸時代に刊行された、伊勢神宮へ参詣道の名所を紹介している、観光ガイド本「伊勢参宮名所図会」には、「此所東国より来る人宇治ふし見への別れ道也。故に追分といふ」「札場の傍らに柳緑花紅の標石あり」と記されています。
街道沿いには、算盤・大津絵等を売る店、巡礼、駕籠等、にぎやかな街道風景が描かれています。
分岐点には道標があり「みきハ京みち」、「ひだりハふしミみち」。「柳緑花紅」と記されています。今建っているのは昭和29年再建の3代目で当初の道標は現在、県立安土城考古博物館に収蔵されています。
東海道五十七はここから別れ、山科盆地の東側を通り、小野小町ゆかりの隨心院、勧修寺の脇を通り、稲荷山と大岩山の間を抜け伏見へと向かいます。
伏見では、勝運の神様・藤森神社(藤森神社)、桜寺と呼ばれる墨染寺(ぼくせんじ)、伏見大仏が安置されている欣浄寺(ごんじょうじ)の門前を通り、伏見港へと至ります。
追分の名物と言えば「大津絵」。松尾芭蕉が「大津絵の筆のはじめは何仏」とも詠んだ大津絵は、江戸時代の寛永年間(1624年~1644年)頃から、追分付近で売られていた民俗絵画で、浮世絵と並ぶ二大民画と言われ東海道の旅人たちの土産物・護符として人気を博していました。
芭蕉の句のように当初、阿弥陀仏や十三仏などの仏画が多く描かれましたが、旅人の好みにより鬼や動物などの風刺を交えた絵柄の人気が高まり、鬼の寒念仏、藤娘、瓢箪鯰などが描かれるようになりました。
ユーモアで風刺の効いた大津絵は日本だけでは無く、フェノロサ、ピカソ、ミロなどが収蔵。海外の芸術家をも魅了しました。
東海道54番目の宿場町・伏見
伏見は伏見城の城下町、伏見港の港町、名水の湧き出る酒蔵の町、そして東海道五十四番目の宿場町と様々な顔をもつ京都の玄関口の町。
豊臣秀吉は天下を治める拠点として伏見城(指月城・初代木幡山城)を築き、続く徳川家康、さらに秀忠・家光の徳川三代も伏見城(二代目木幡山城)で将軍宣下を受けるなるなど、安土桃山時代から江戸時代初期、伏見(桃山)は日本の首都でした。
今なお、桃山町正宗、桃山町島津、桃山町松平筑前など、戦国大名ゆかりの町名が残っています。
また、日本で初めて「銀座」が開設され、政治だけではなく経済の中心地でもありました。
伏見港は京都の水運の拠点で物資の集積地でもありました。大阪から淀川の三十石船で運ばれた物資は伏見港に荷揚げされ、小舟に積替えたり牛馬や人の手により京の町へと運ばれていました。
江戸時代、角倉了以によって高瀬川が開削され、京の町と水路でつながり、明治時代には琵琶湖疏水の一部である「鴨川運河」が完成し、琵琶湖湖とも結ばれ、伏見港は日本最大規模の内陸河川港になりした。
伏見はかつて「伏水」と書かれていた良質な地下水が豊富な町で、兵庫の灘、広島の西条と並び「日本三大酒どころ」として知られています。
現在も半径約2km圏内に20を超える酒蔵が集まる「日本酒の町」で蔵元ごとに個性のある清酒の飲み比べができる施設もあります。
徳川時代、幕府直轄領となった元和5年(1619年)、伏見、淀、枚方、守口の4宿が新たに設けられ「東海道五十七次」となりました。
追分から山科盆地を通るこのルートは、参勤交代時に西国大名が上洛し朝廷と接触することを避けさせるためでもあったと言われています。
京の町とは、竹田街道、大和街道(奈良街道)で結ばれ、伏見で京街道と合流し大阪へと続きます。
淀川舟運の京都側の起点でもあった伏見は大いに繁栄し、宿場町の範囲は、東は京町通り、西は高瀬川、北は墨染、南は宇治川河畔にまで、東西1km、南北4.6Kmと拡大。
宿場町の中心部「京橋」周辺には、多くの船宿が建ち並び、千数百隻もの船が行き交い、本陣が4軒、脇本陣2軒、旅篭39軒と、東海道最大の巨大な宿場町であり日本最大の内陸河川港の港町でした。
御香宮神社
神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神をお祀りしています。神功皇后の神話における伝承から「日本第一安産守護之大神」として信仰を集めています。
創建の年は不詳で当初は「御諸神社」と称しましたが、平安時代の貞観4年(862年)9月9日に、境内から「香」の良い水が涌き出たことから、 清和天皇より「御香宮」名を賜りました。
豊臣秀吉は天正18年(1590年)、願文と太刀を献じ天下統一の成功を祈り、伏見城の築城に際して、城内に鬼門除けの神として勧請し、社領三百石を献じました。
本殿は徳川家康の命により、慶長10年(1605年)に京都所司代坂倉勝重を普請奉行として建立。
大型の五間社流造で屋根は桧皮葺、正面の頭貫、木鼻や蟇股、向拝の手挟に彫刻を施し、全て極彩色で飾られています。
表門は水戸徳川家の初代・徳川頼房(水戸光圀の父親)が元和8年(1622年)に廃城となった伏見城の大手門を拝領し、寄進したもの。
拝殿は紀伊和歌山藩の初代藩主・徳川頼宣が寛永2年(1625年)に寄進したもの。
豪壮華麗な正面軒唐破風は手の込んだ彫刻によって埋められており、は伏見城御車寄の拝領と伝えられています。
徳川家康の孫娘・千姫の初誕生祝いに二代将軍・徳川秀忠が神輿を奉納。通称「千姫神輿」と呼ばれ、日本一重い神輿(六百貫≒約2.3トン)として知られており、祭礼期間中のみ見学ができます。
伏見駿河屋本店
伏見駿河屋本店は、江戸時代の天明元年(1781年)に伏見港に諸国大名の乗船待合所として旧総本家駿河屋より分家開業、現在のご主人で11代目。
「羊羹といえば駿河屋」と言われるように何といっても「煉羊羹」に尽きます。
看板商品の「特製練羊羹」は備中の白小豆、丹波の大納言小豆、寒天、阿波の和三盆など、現在手に入れることの出来る最高級の原料のみ使用して作られている羊羹の最高峰。駿河屋伝統の技術で煉り上げた特製品です。
(白小豆を使用した紅羊羹)と大納言小豆を用いて小豆の粒を散らした羊羹「夜の梅」の2種類があります。
その他にも、自慢の小豆餡を用いた「みかさ」、「最中」、季節の生菓子、カステラや創作和菓子があります。
隠れた人気商品が「プリン」で上品な甘さで昔懐かしい味わいです。
店舗横の竹田街道は明治28年(1895年)に、京都電気鉄道により日本初の路面電車が走った場所で、京都市電の地。
伏見町下油掛通と東洞院塩小路下ルの七条停車場(京都駅付近)の約6kmを結んでいました。
店舗入口横には電気鉄道事業発祥の地の石碑が建立されています。
(参考)伏見駿河屋本店ウェブサイト&Instagram&X(旧Twitter)
https://www.kyoto-wel.com/shop/S81140/
https://www.instagram.com/fushimisurugaya/
https://twitter.com/fushimisurugaya
【過去の放送】
京都山科 要衝・山科は何を生んだ?
https://totteoki.kyoto.travel/29863/
京都大原 なぜ大原は“癒やしの里”になった?
https://totteoki.kyoto.travel/22896/
(情報提供:とっておきの京都プロジェクト事務局)
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