ブラタモリ 東海道“五十七次”の旅▼第二夜 京都競馬場と石清水八幡宮へ(11月3日)
“道”をたどる新たなスタイル♪京都競馬場と石清水八幡宮
街歩きの達人・タモリさんが“ブラブラ”歩きながら、知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫る「ブラタモリ」が、11月2日(土)、3日(日祝)、4日(月祝)の3日間にわたり8か月ぶりに帰ってきます。
しかも番組史上初の三夜連続で放送!今回、新たに注目したのは「道」。
江戸時代に整備された“東海道“五十七次”の旅”を歩き、街から街へと移動することで、それぞれの街の魅力や個性を解き明かします。
三夜連続で道を歩く旅。スタートは京都、ゴールは大阪です。
旅のパートナーは広島局の佐藤茉那(さとう まな)アナウンサー(2020年入局)。
“街道をゆく”タモリさんにご期待下さい!
【タモリさんからメッセージ】
道は面白いです。自然にできたものもあれば、つくったものも両方ある。
特に分かれ道が良かった。いい三差路に出会えました。
○放送日程(総合)
【第二夜】京都競馬場と石清水八幡宮へ
2024年11月3日(日)19:30~19:58
旅のお題は「東海道“五十七次”の旅~行けばわかるさ 徳川の思惑~」。
五十五番目の宿場町「淀宿」へ!京都競馬場の“淀の坂”と石清水八幡宮からの絶景に徳川の思惑がわかる秘密が!?
江戸時代の絵図を頼りに知られざる東海道の謎を探る。
伏見宿からわずか4キロ先に作られた淀宿。なぜこんな近くに宿場を整備したのか?
競馬場のコースの下にあったのは巨大地下通路。その先で見つけた池と坂に謎を解くカギが!
水上に浮かぶ城に込められた徳川の思惑とは?
さらにケーブルカーで向かった石清水八幡宮では国宝も。徳川だけでなく織田信長・豊臣秀吉も重要視した理由は“地形”にあった!?
★第一夜 京都・三条大橋から伏見へ(11月2日)
https://totteoki.kyoto.travel/44044/
淀城・京の守護は水に浮かぶ城
淀エリアは桂川、宇治川、木津川の三つの河川が合流する三角洲にあり、かつては「与渡津」と呼ばれ平安京への舟運の中継地であり、大阪からの京街道と京へと続く「鳥羽街道」の合流点で交通の要衝の地でした。
地名の「よど」とは、京都盆地の河川がここで合流し緩んでできた「よどみ」に由来しています。
永正元年(1504年)に、豊臣秀吉により築城された、淀城(古淀城)がありましたが、文禄3年(1594年)に破却されました。
淀古城は秀吉の側室・茶々が鶴松を出産した城であったため「淀の方」と呼ばれることになりました。
その後、江戸時代になり徳川幕府の一国一城令により京都の幕府の拠点を二条城とし、伏見城が廃城となった代わりに京都守護の城として新たに築かれたのが淀城です(古淀城とは別の場所)。
元和9年(1623年)に、徳川秀忠の命で松平定綱により築造が始り、廃城となった伏見城の資材と二条城の天守が移築され、約3年の年月をかけ三川合流地点の中の島に完成。
桂川、宇治川、木津川が合流する地に築かれた淀城は、全て水に囲まれて「水に浮かぶ城」の様でした。
以降、京都守護の拠点となり、松平氏や稲葉氏など諸国の譜代大名が居城し、明治維新まで存続しましたが廃藩置県により廃城となり、本丸・天守台の石垣と内堀の一部が残り、公園として整備されています。
淀城跡には、桂川河川敷の拡幅工事により明治時代に淀の鎮守である與杼神社(よどじんじゃ)が移転し鎮座しています。
伏見宿から、わずか4kmしか離れていないにも関わらず、東海道五十七次の54番目の宿場町がおかれたのは、京都守護の拠点であった淀城が築城され城下町が形成されたことが要因と考えられます。
京都競馬場名物「淀の坂」
京阪電車淀駅と直結している京都競馬場は大正14年(1925年)12月1日に京阪電鉄が有していた土地に開設され、2025年に100周年を迎える歴史ある競馬場。
皐月賞、日本ダービーとともにクラシック3冠のひとつ「菊花賞」や春の天皇賞が開催され伝統と格式を誇ります。
京都競馬場の特長として有名なのが、コース内側の池と第3コーナーの通称「淀の坂」のふたつ。
この池と坂ができたのは、競馬場のそばにあった宇治川と存在した巨大な湖「巨椋池(おぐらいけ)」によるとされます。
宇治川の氾濫時、巨椋池で水を貯め洪水を抑えていましたが、それでも溢れる水は周囲に流れ小さな池を多数作ることになりました。
その残りのひとつが競馬場中央の池になっています。
淀の坂は、第3コーナーから第4コーナーいかけて高低差が4.3mもあるレースの勝負どころ。
この高低差は、淀城に流れ込んでいた旧宇治川流路、巨椋池の堤防跡と考えられます。
この堤防は、文禄5年(1596年)に豊臣秀吉が、大阪城と伏見城を最短距離で結ぶため、淀川沿いに「文禄堤」を整備し、堤防上を道として利用。
これが東海道五十七次の一部で「京街道」と言われる道です。京街道は、大阪城の京橋口(後に高麗橋)を起点に京都(鳥羽口)へ通じる道で、京道・大坂街道・河内路とも呼ばれました。
文禄堤の総延長は約27kmにも及びましたが、淀川の改修でその姿を消しました。大阪の守口宿のみ、往時の面影を留めています。
京都盆地の出入口
石清水八幡宮
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は京都府八幡市にあり、宇佐神宮、筥崎宮または鶴岡八幡宮とともに日本三大八幡宮のひとつ。旧称は男山八幡宮。
平安時代の貞観年間(859年~877年)に、大安寺僧の行教が八幡信仰の総本宮である宇佐神宮から勧請。
源氏の氏神として、厄除けの神様としても広く信仰を集めています。
現在の社殿は江戸時代・寛永11年(1634年)に三代将軍・徳川家光により修造されたもの。
本殿は八幡造という建築様式で現存する八幡造では最古かつ最大規模。この本殿を含む建造物10棟が国宝に指定されています。
内殿と外殿の「相の間」には、織田信長寄進の「黄金の雨樋」が架けられています。
石清水八幡宮参拝には、参道ケーブルが便利。京阪電車石清水八幡宮駅前のケーブル八幡宮口駅からケーブル八幡宮山上駅までをわずか3分で結んでいます。
ケーブル八幡宮山上駅近くの「男山展望台」は京都盆地の出入口で最も狭くなった場所で、宇治川・木津川・桂川の三川を挟んで向かい側に天王山を望み、京都競馬場、京都タワーをはじめとした京都市街、比叡山、宇治方面まで一望できる絶景スポットです。
【過去の放送の記事】
京都山科 要衝・山科は何を生んだ?
https://totteoki.kyoto.travel/29863/
京都大原 なぜ大原は“癒やしの里”になった?
https://totteoki.kyoto.travel/22896/
(情報提供:とっておきの京都プロジェクト事務局)
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