隆盛を極めた草津湊の魚市場も明治10年(1877年)、東海道本線の神戸駅から京都駅間の全通により、生鮮魚介類魚の輸送は鉄道へとシフトし、魚市場も明治21年(1888年)には京都駅に付近に移転、その使命を終えました。
大正8年(1919年)、かつて魚市場があったことを示す記念碑が、羽束師橋の下流約50mの場所に往時の繁栄を後世に伝えるため魚市場関係者により建設されました。昭和9年(1934年)室戸台風により石碑が損壊しましたが、昭和60年(1985年)に京都水産物小売工業組合の関係者などから集まった寄付金により再建。再建後は「魚魂碑顕彰会」により、毎年4月の第1日曜日に魚魂碑魚供養の式典が行われているそうです。