国宝 鳥獣人物戯画のお寺 世界遺産 高山寺「遺香庵」特別拝観

「鳥獣人物戯画」だけじゃない。
まだ知らない高山寺に会いに行く。

京都とその周辺には、歴史的、文化的、芸術的な魅力に心惹かれる、数多くのお寺や神社があります。そのなかで17の寺社だけが、「古都京都の文化財」として世界文化遺産に指定されています。壮大な伽藍、緻密あるいは華麗で独創的な建築様式、四季折々の趣あふれる庭園美・・・。それぞれに歴史を刻み、重ねてきたその姿には、まさに心打たれるばかりです。

そうした京都の世界遺産のなかにあって比較的ひっそりと佇む印象をいだくのが、栂尾山 高山寺。京都駅から北西へ路線バスで約1時間。高雄・槇尾(まきのお)・栂尾(とがのお)は合わせて三尾(さんび)と呼ばれ、古くから紅葉の名勝として知られる地です。その栂尾にある古刹ですが、市街からずいぶん離れた、つづら折りの街道途中という山あいに位置するからでしょうか。

そういえば、「鳥獣人物戯画のお寺」というほかに、高山寺のことをほとんど知らないことに気づきました。「国宝 鳥獣人物戯画」だけではない、世界遺産に指定された価値や理由はどこにあるのでしょう。

執事の説明を聞きながら、「国宝 石水院」や、ふだんは非公開のお茶室「遺香庵」を拝観できるプランを予約し、高山寺を訪ねました。

日出先照高山之寺
「高山寺」の寺名の由来

駐車場やバス停そばに入り口があることから、近ごろはこちらを利用する人が多いという裏参道の石段を登ります。登りきるあたりから続く、石積みに低い白壁。その向う側が「石水院」です。もちろん表参道の石段を登り、正方形の敷石が17枚連なる美しい意匠を楽しみながら歩くのも一興。

高山寺の創建は古く、奈良時代末の宝亀5年(774)に光仁天皇の勅願によって開かれた「神願寺都賀尾坊」まで遡ると伝えられています。平安時代に神護寺の別院であった時期を経て、鎌倉時代はじめの建永元年(1206)、明恵上人(みょうえしょうにん)が後鳥羽上皇からその寺域を与えられ、華厳宗復興の根本道場と定め中興しました。
「高山寺」の名は、後鳥羽上皇からいただいた、華厳経ゆかりの「日出先照高山之寺(ひいでてまずてらすこうざんのてら)」の額に由来するそう。上皇直筆によるこの扁額は、「石水院」南面の欄間に掲げられています。

「800年前につくられた本物を実際に見ながら、皆さんにお話しできることが大切です」。重文クラスの価値をもつ扁額を指しながら、執事がお話しくださいました。教科書でしか知らない歴史の空気に触れる、貴重な体験ができます。

寺宝と、宝のような景観
国宝「石水院」へ

応仁の乱をはじめ幾度かの戦火で伽藍のほとんどを焼失、再建されていったなかで、明恵上人時代の唯一の遺構として現存しているのが「石水院」です。鎌倉時代の住宅建築の傑作とされ、建物全体が国宝に指定されています。
もとは後鳥羽上皇の御学問所だった建物を下賜されたもの。「ここの天井板は千年以上前のものなんですよ」と執事。自然に朽ちた表情はほんとうに趣深いもので、時の流れを目の当たりにするようです。

ここでは、あの有名な「鳥獣人物戯画絵巻(国宝・複製)」や「明恵上人樹上座禅像(国宝・複製)」、明恵上人が愛した木彫りの子犬(重文・複製)などを、執事の説明を聞きながら観ることができます。子犬像は、仏師の湛慶作と伝えられます。

「石水院」は境内南端に位置しており、東・南・西の3面を栂尾の山と庭の木々に取り囲まれるように佇みます。深い軒としとみ戸、広縁など、簡素で開放的な造りは屋外と室内の境界を曖昧にし、四季それぞれに周囲の自然との一体感を堪能できそう。とりわけ南面からは清滝川を越えて向山を一望でき、視界いっぱいに広がる景観を眺めていると、日頃のストレスが吸い込まれて消えていくみたい! 新緑に輝く初夏、紅葉に彩られる錦秋、冬枯れの閑雅な季節にも、さまざまな景色が目と心を癒やしてくれそうです。

宗派を越えた集いの場をつくった
明恵上人(みょうえしょうにん)

高山寺中興の祖である明恵上人は、平家一門の武家に生まれましたが、幼い頃に父母を亡くしたことから神護寺に入り、仏道修行をはじめました。その後、東大寺で受戒し、華厳学を修めます。

密教と華厳を修めた明恵上人ですが、彼が貫いたのは、限られた宗派や教説にとらわれることのない、生涯をとおしての釈迦への信仰でした。2度のインド行きを企てる(結局、頓挫しましたが)など、釈迦への思慕と求道への思いはいくつもの逸話となって伝えられています。

真の仏弟子として釈迦に深く帰依した明恵上人のもとには、宗派やときには身分を越えて、多くの人が集まったそうです。

法然、栄西、道元・・・。仏教の新しい宗派が数多く生まれた鎌倉時代の、さまざまな宗派の宗祖たちとの交流も伝えられています。

当時の仏教界では、明恵上人は最も高名な一人だったそうです。にもかかわらず、ほかの宗祖たちほどには名を残していないように思います。その疑問にも執事が答えてくださいました。

その答は、明恵上人が宗派をつくらなかったから。けれど、宗派をつくらなかったからこそ、垣根を越えた交流が生まれたのだとのお話でした。

その無私無欲の徳行は、皇族や公家、武士から一般の民衆まで、多くの人の信仰と信頼を集めたといいます。
当時の高山寺は、多くの文化人が集うサロンのような場だったのかもしれません。

こうした交流やつながりがあって、高山寺には多くの文化財が集積されていきました。8点の国宝、1万2千点に及ぶ重要文化財など、高山寺に伝わる史料や文化財はどれも明恵上人ゆかりの品ばかりなのだそうです。

明恵上人の思いを継ぐ高山寺は、近年もなお、川端康成や白洲正子、河合隼雄などの文化人から愛される存在です。
執事のお話によれば、川端康成は自宅でも樹の上で座禅を組んでいたとか。あの高名な作家の、明恵上人に寄せる思いの深さに驚くばかりです。

自由で自在
明恵上人が詠う和歌

明恵上人は和歌も数多く詠み、遺しています。月を詠んだ歌が多く、同時代の歌人で僧侶の西行が「花の歌人」と称されるのに比して、「月の歌人」と呼ばれることもあります。
うまく詠もうとしなくてもよい、なんとなく、心のままに詠むのがよい。そう弟子に語っていたと伝えられるように、上人の詠う和歌は自由で自在で、おおらかです。

あかあかやあかあかあかやあかあかや
あかあかあかやあかあかや月

「石水院」の南縁から向山を望むと、山の端から月が昇るのが見えるのだと、執事は語ります。明恵上人もその光景を見て、あまりにも月が明るく美しいと、心に思ったままに詠んだのかもしれません。ストレートに心に響いて、そんなふうに想像してみたくなります。

昭和初期の名茶室「遺香庵」

明恵上人のお寺として800年、学問のお寺として発展してきた高山寺。一方で明恵上人はまた、お茶を宇治へ伝えた人物でもあり、お茶の発祥地としても知られています。

そもそもは臨済宗開祖の栄西禅師から、宋から持ち帰った茶の種子を贈られ、栂尾の地で栽培をはじめたことに端を発します。栂尾で育てられたお茶は、後に、明恵上人によって苗木を宇治に移植。そこから、日本全国へと広まっていきました。
日本を代表する銘茶の産地・宇治にとって、さらに全国のお茶の産地にとって、明恵上人はなくてはならない存在なのです。

そんな茶祖としての明恵上人の遺徳を偲ぶお茶室「遺香庵」から日本最古とされる茶園へと、執事に案内していただきました。「遺香庵」と茶園は通常は非公開です。

「遺香庵」は、茶祖としての恩に報いるため、明恵上人七百年遠忌にあたる昭和6年(1931)、全国の財界人を中心に103名の寄進により建てられました。

設計したのは、明治から昭和初期にかけて活躍した実業家で茶人の高橋箒庵。建築は、数多くの茶室を手掛けた数寄屋大工、三代目木村清兵衛が担いました。また露地庭は、東山から岡崎一帯で東山の借景と琵琶湖疏水の引き込みを生かした近代的日本庭園群を手掛けたことで名高い、七代目小川治兵衛(植治)の手によるもの。

平成7年(1995)に京都市指定名勝となりました。

鐘楼を兼ねる腰掛待合「茶徳亭」

まずは苔むす石段を登り、高台にある待合へ。「茶徳亭」と名付けられた腰掛待合です。卍型に配した腰掛は、桂離宮の卍亭に倣ったものだとか。

庭の最上部という場所に位置する珍しい待合ですが、実はここ、お寺の鐘楼も兼ねているのです。「もちろん大晦日には、ここで除夜の鐘を撞くんですよ」とは執事の言葉。

「遺香庵」の建立当時、高山寺には鐘楼がありませんでした。そこで、ここに梵鐘「茶恩鐘」を吊り下げることになったそう。小ぶりの梵鐘には、総代である高橋箒庵をはじめ「遺香庵」寄進者103名の名前が刻まれており、根津嘉一郎、住友吉左衛門、団琢磨、堂本印象など、各界のそうそうたる名前を見ることができます。

小高い場所にある待合からは、露地庭を見下ろすことができます。山中のお茶室ならではの配置の妙に感嘆しつつ、ここでしか出会えない景色の趣を、まずは味わいます。

七代目小川治兵衛による
趣ある露地庭

一面に苔むした露地庭は、まさに侘びた風情満点。近代日本庭園の先駆者とされる七代目小川治兵衛晩年の作庭です。

山中のお茶室という起伏の大きな立地を生かした、野趣あるレイアウト。景観のポイントとなる景石や飛石は、栂尾周辺で調達されたものだそう。楓や馬酔木、“栂尾”の地名の由来である栂の木などの樹木とあわせ、周りの環境と緩やかに融け合った雰囲気です。
人の手を加えすぎず、自然のあるがままにという、明恵上人以来の思いは、ここにも受け継がれているのでしょう。

また、周囲の石積みには、鎌倉時代のものもあるそう。800年の古刹の歴史と、それに比べればまだ若い90年のお茶室。2つの時の流れも融け合い調和して、あるがままの姿を見せてくれているようです。

躙り口(にじりぐち)の南側に蹲(つくばい)とともに石灯籠が据えられています。「この石灯籠の後ろ側をのぞいてみてください」と執事に促されてのぞいてみると、そこには鹿の姿が彫られていました。
なぜこんなところに鹿が? という疑問の答は、明恵上人の奈良での修業時代にあると説明してくださいました。

明恵上人は東大寺で華厳学を修めましたが、春日明神についても深く信仰しており、上人が春日社を参詣した際には鹿が近寄ってきて跪いた、という逸話が伝わるそうです。春日信仰では、鹿は神の使いとされているので、春日明神を自身にとって生涯の守り神とした明恵上人には、鹿は無二の動物だったのかもしれません。
高山寺所蔵の重文にも、雌雄一対の鹿の彫刻が遺されています。

端正な美しさ香るお茶室

お茶室は、本坊庫裏につながる一段高い平地に建てられています。内部に入ることはできませんが、特別に躙り口などを開けていただき、間近に見ることができました。

当初は茶室と水屋だけの簡素なものとする計画だったようですが、住職と檀信徒の希望から広間が増築されたそう。

入母屋造銅板葺の前面に土間庇を付け、右に片流れの屋根をかけた姿は、表千家の不審庵などに似ていますが、異なる点もあちこちに。躙り口の右側に寺院建築に見られる火灯窓が開けられており、これは草庵茶室としては異色の外観なのだそう。寺院内に立つお茶室を意識したのだといいます。

手前の4畳のお茶室と奥にある8畳の広間が合の間でつながる内部は、織部や遠州好みの造りなのだそう。当時よく行われていた大茶会には、このような広間が必要だったのでしょうか。端正な美しさが目を引きます。

日本のお茶はここから広まった。
「日本最古の茶園」

参道をはさんで「遺香庵」の向かい側に茶畑が広がります。ここは日本最古の茶園とされ、こちらもふだんは非公開であり、足を踏み入れることはできません。

明恵上人が栄西禅師から贈られた茶種は、最初、清滝川の対岸に植えられました。栽培し、育ててみたところ、修行の妨げになる眠気を覚ます効果があることがわかり、広く栽培することになったようです。

清滝川から立ち上る川霧が栽培に適していたのか、栂尾山で採れたお茶は質がよい「本茶」とされ、それ以外は「非茶」と呼ばれるようになりました。鎌倉時代末期には、「本茶」か「非茶」かを飲み比べて当てる「闘茶」が流行ったほどだったそうです。

お茶の栽培はずっと続けられており、今も毎年5月中旬に茶摘みが行われ、宇治で代々茶づくりを担う吉田銘茶園で製茶されているそうです。今も大切に飲み継がれている栂尾のお茶。収穫したお茶は、一般の方にもお分けされています。

茶園の周囲はもともと、杉の巨木や楓の古木などに囲まれ、鬱蒼としながらも青々とした林でした。ところが2018年9月の台風により、約300本の木々が倒木。頭上が開け、空が広がる。そんなふうに茶園の環境も少し変わってしまったそうです。

「以前、DNA鑑定を行ったところ、中国の古い品種に非常に近い種が混在していることが分かりました」とのこと。長く生き続けてきた強い茶種であれば、環境の変化に負けずおいしいお茶に育ってくれるかも。期待と希望も、お茶の葉と一緒に育っていけばいいなと思いました。

「遺香庵」と茶園を拝観したあとは「石水院」に隣接する書院で、お抹茶とお菓子で一服。ご案内とご説明いただきながらの一巡りは、とても充実し中身の濃い1時間余りでした。それだけに少し濃いめのお茶と甘いお菓子のおいしかったこと。

お土産として、「鳥獣人物戯画」のポストカードなどオリジナルグッズと、このプランのために用意された特別御朱印をいただきました。

茶園でお話を伺ったように、高山寺は2018年9月の台風で大変な被害に遭い、しばらくは立ち入り禁止の場所も多かったそうです。その後実施したクラウドファンディングなどを通じて多くの支援が集まり、約1年半を経た2020年4月にようやく境内全域が公開されました。

明恵上人の時代、サロンのような存在だった高山寺。多くの人が交流し、思いを寄せた、その“立ち位置”のようなものは、今も変わらず継がれているのかも。復興途上の境内を散策しながら、そんなことがふと浮かびました。

「鳥獣人物戯画」をはじめとする数々の美術工芸品や史料、建物が、なぜここに集まったのか。なにより世界遺産に指定された理由はどこにあるのか。
最初に浮かんだ疑問に対する答に、少しだけ近づけたような気がします。

はじめに執事が話された「鳥獣人物戯画ももちろん大切ですが、明恵上人のことをもっと知って帰ってほしい。知るともっと面白くなりますよ」という言葉にも納得です。

静かな山寺は、なるほど、明恵上人のお寺だったのだ。

スポット情報

エリア名高雄
場所高山寺
所在地京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町8
アクセスJR京都駅から西日本JRバス高雄・京北線「栂ノ尾」「周山」行→「栂ノ尾」バス停下車、徒歩すぐ
※途中、四条大宮・二条駅前・円町などを経由します。
地下鉄烏丸線「四条」駅から、市バス8系統「高雄」行→「高雄」バス停下車、徒歩約15分
特別拝観期間2020年8月1日(土)~2021年3月31日(木)の限定日
拝観時間①10:00~11:30
②13:00~14:30
※所要時間:約90分
料金・下記の期間以外:おとな・こども共 おひとり様 4,000円
・10月10日~11月30日:おとな・こども共 おひとり様 4,500円
※拝観料は料金に含まれます。
※10月中旬から11月末までは、入山料500円が料金に含まれます。
※当日、受付時に現金にてお支払いください。
TEL075-861-4204(高山寺)

(掲載日:2020年11月16日 取材:とっておきの京都プロジェクト

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