参道をはさんで「遺香庵」の向かい側に茶畑が広がります。ここは日本最古の茶園とされ、こちらもふだんは非公開であり、足を踏み入れることはできません。
明恵上人が栄西禅師から贈られた茶種は、最初、清滝川の対岸に植えられました。栽培し、育ててみたところ、修行の妨げになる眠気を覚ます効果があることがわかり、広く栽培することになったようです。
清滝川から立ち上る川霧が栽培に適していたのか、栂尾山で採れたお茶は質がよい「本茶」とされ、それ以外は「非茶」と呼ばれるようになりました。鎌倉時代末期には、「本茶」か「非茶」かを飲み比べて当てる「闘茶」が流行ったほどだったそうです。
お茶の栽培はずっと続けられており、今も毎年5月中旬に茶摘みが行われ、宇治で代々茶づくりを担う吉田銘茶園で製茶されているそうです。今も大切に飲み継がれている栂尾のお茶。収穫したお茶は、一般の方にもお分けされています。
茶園の周囲はもともと、杉の巨木や楓の古木などに囲まれ、鬱蒼としながらも青々とした林でした。ところが2018年9月の台風により、約300本の木々が倒木。頭上が開け、空が広がる。そんなふうに茶園の環境も少し変わってしまったそうです。
「以前、DNA鑑定を行ったところ、中国の古い品種に非常に近い種が混在していることが分かりました」とのこと。長く生き続けてきた強い茶種であれば、環境の変化に負けずおいしいお茶に育ってくれるかも。期待と希望も、お茶の葉と一緒に育っていけばいいなと思いました。
「遺香庵」と茶園を拝観したあとは「石水院」に隣接する書院で、お抹茶とお菓子で一服。ご案内とご説明いただきながらの一巡りは、とても充実し中身の濃い1時間余りでした。それだけに少し濃いめのお茶と甘いお菓子のおいしかったこと。
お土産として、「鳥獣人物戯画」のポストカードなどオリジナルグッズと、このプランのために用意された特別御朱印をいただきました。
茶園でお話を伺ったように、高山寺は2018年9月の台風で大変な被害に遭い、しばらくは立ち入り禁止の場所も多かったそうです。その後実施したクラウドファンディングなどを通じて多くの支援が集まり、約1年半を経た2020年4月にようやく境内全域が公開されました。
明恵上人の時代、サロンのような存在だった高山寺。多くの人が交流し、思いを寄せた、その“立ち位置”のようなものは、今も変わらず継がれているのかも。復興途上の境内を散策しながら、そんなことがふと浮かびました。
「鳥獣人物戯画」をはじめとする数々の美術工芸品や史料、建物が、なぜここに集まったのか。なにより世界遺産に指定された理由はどこにあるのか。
最初に浮かんだ疑問に対する答に、少しだけ近づけたような気がします。
はじめに執事が話された「鳥獣人物戯画ももちろん大切ですが、明恵上人のことをもっと知って帰ってほしい。知るともっと面白くなりますよ」という言葉にも納得です。
静かな山寺は、なるほど、明恵上人のお寺だったのだ。