大原は、時代を超えて女性を惹きつけてきた土地です。
長きにわたる大原の歴史を紐解いてみると、じつにたくさんの女性にまつわるエピソードに遭遇します。
たとえば、大原女(おはらめ)。
大原の山々で伐採された木を、炭や薪や柴にして京都市内へと行商していた女性のことです。
都への流通を支え、里山の経済を潤してきたのはこの女性たちでした。
また、平清盛の娘で高倉天皇の皇后だった建礼門院は平家没落とともに京の都を追われ、ここ大原の地・寂光院で隠棲したと伝えられています。
建礼門院の墓は寂光院に置かれ、いまも静かな眠りについています。
そして、春は花、夏は緑、秋は紅葉、冬は雪と、季節ごとに美しい表情をたたえ、訪れた人々を迎えてくれる三千院は恋に疲れた女の哀しみを歌った流行歌の舞台にもなりました。
もちろん大原の里が優しく受け入れてきたのは、女性だけではありません。
平安時代から鎌倉時代にかけて、現生の煩わしさを儚んだ多くの皇族や貴族、そして武士や文人たちがここ大原の里へと移り、隠れ住んできたのだそうです。
また、浄土宗の開祖として名の知れた法然上人は、ここ大原の勝林院にて数百人とも数千人とも言われる多くの僧侶や学僧を相手に「大原問答」と呼ばれる討論会を開き、浄土宗の教理の本質を究めました。
そして勝林院は仏教の賛美歌とも称される「天台声明」発祥の地でもあり、その厳かな歌声が人々を癒したのだそうです。
このように大原の里は日々の喧騒から離れ、己と向き合い、心の声に耳を傾け、新しい道を切り拓くのにうってつけの場所でした。