宝塔寺 七面宮♪法華経を守護する女神「七面大明神」と神馬像@伏見深草

宝塔寺(ほうとうじ)は、山号を深草山(しんぞうさん)といい、京都市伏見にある日蓮宗の寺院。
伏見稲荷大社からも近く、徒歩15分ほどの場所にあります。
平安時代に藤原基経(ふじわらのもとつね)により発願、その長男の藤原時平(ふじわらのときひら)により大成した、真言宗寺院の極楽寺が前身。
極楽寺の名は、源氏物語の「藤裏葉(ふじうらのば)」の帖にも言及されているほどの大寺でした。
鎌倉時代、住職の良桂律師(りょうけいりっし)が日蓮大聖人の孫弟子である、日像上人(にちぞうしょうにん)に帰依し、日蓮宗に改宗しました。
日像上人の入滅後は、遺言に従い極楽寺に廟所を設けて寺号を鶴林院としました。
京の七口に建てられていた上人直筆のお題目を刻んだ石の宝塔を墓標としたところから、それにちなんで寺名を宝塔寺に改称しました。
日蓮宗門で初めて京都で布教を行い、度重なる法難にも耐えた日像上人は、後に「京中おおかたお題目の巷」と称賛される日蓮宗隆盛の礎を築いた高僧です。
日像上人御廟所があり、日蓮大聖人の御真骨も奉安していることから「西身延・巽之霊山」と呼もばれています。
本堂、多宝塔、総門(四脚門)の3棟が国の重要文化財に指定されてます。

法華経の守護 七面宮

境内東側、本堂背後の七面山(しちめんさん)には、かつては宝塔寺の鎮守社であった七面宮があり、七面大明神(しちめんだいみょうじん)をお祀りしています。
七面大明神は七面天女とも呼ばれ、日蓮宗において法華経を守護するとされる女神です。
当初は日蓮宗総本山である身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)の守護神として信仰され、七難即滅・七福即生の霊験があらたかで「開運七面大天女」として、日蓮宗の広まりとともにに法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになりました。
その本地は、久遠寺の裏鬼門にあたる七面山の山頂にある敬慎院(けいしんいん)に祀られている神様で、そのお姿は右に施無畏の鍵を、左には如意珠の玉を持ち法華経信徒を守護しています。
七面宮の脇には、神様が人間の世界へやって来る時の乗り物とされる神馬(しんめ)像が奉納されています。

【七面大明神の由緒】

日蓮大聖人が身延山で御説法中、妙齢の女人が現れ、いぶかしがる聴衆の声に花瓶の水を一滴与えるとたちまち龍の姿に変化しました。
教化を受けた女人は「私は七面山の池に住む者。身延山と法華経を信じる者を守護する事を誓います」と言い残し七面山の方角に飛び去りました。
日蓮大聖人は生前、七面山に登り七面大明神を祀ることを望んでいましたが、果たせぬまま入滅されました。
その後、日蓮大聖人の入滅16年後の永仁5年(1297年)に日蓮宗六老僧のひとり、日朗上人(にちろうしょうにん)と南部実長(なんぶさねなが)公は七面山に登り、七面大明神をお祀りしたと伝えられています。

【大明神とは】

大明神(だいみょうじん)は神の尊称で、名神(みょうじん)という平安時代の格式名から派生。
特に信仰が篤い神様、神仏習合(神と仏が一体とされた思想)において仏・菩薩の仮の姿とされる神様に用いられる称号です。

宝塔寺重要文化財3棟

【本堂】

江戸時代の慶長13年(1608年)、宝塔寺の中興の祖・日銀聖人(にちぎんしょうにん)により再建されたもの。
内部の柱が小屋裏まで伸びる構造など、近世の特色が見られ、日蓮宗本堂としては京都府内で最古の建造物です。
堂内には、十界曼荼羅・釈迦如来立像および日蓮・日像の像を安置しています。

【多宝塔】

建立された年代は不明ですが、永享10年(1439年以前)の墨書きがあり、室町時代中期の建立と思われる。
応仁の乱の兵火をまぬがれた京都市内最古の多宝塔(寶塔寺塔婆)で、高さは11.4mと小ぶりですが、初層が方形で二層が円形で行基葺(ぎょうきぶき)の屋根が特徴的で優美な姿です。

【総門】

切妻造で本瓦葺の室町時代中期の建築物。 中央の2本の親柱(本柱)の前後に2本ずつ、合計4本の控え柱(控柱)を配置した構造(四脚門)になっています。
門前では、元治元年(1864年)に起きた「禁門の変」の際、長州藩が京都御所へ向かう途中で、幕府側連合軍(大垣・彦根藩など)との前哨戦(一本松の戦い)が繰り広げられました。

♪まだまだあります♬
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(情報提供:とっておきの京都プロジェクト事務局)

エリア名伏見
スポット名深草山 宝塔寺
所在地京都市府市三区深草宝塔寺山町32
拝観時間境内自由
アクセス京阪本線龍谷大前深草駅から徒歩10分、JR奈良線稲荷駅から徒歩13分
TEL075-641-1859