松尾大社 2024年松尾祭・神幸祭(4月21日)と還幸祭(5月12日)西京

DATE 04月21 2024 - 05月12 2024
TIME 7:45 AM - 7:00 PM

松尾大社(まつのおたいしゃ)は、京都最古の神社のひとつで平安京の西(白虎)の皇城鎮護の社として京都において最重要な神社です。2024年の松尾祭「神幸祭(おいで)」は4月21日()に、「還幸祭(おかえり)」は5月12日()に巡幸されます。

<松尾祭(神幸祭・還幸祭)>
松尾祭の歴史は古く平安時代初期にはじまたっと伝えられています。かつて「松尾の国祭」と称せられており、3月中卯日に出御、4月上酉日に祭礼となっていましたが、明治時代以降は、4月下卯日に出御、5月上酉日に還御となり、さらに昭和36年(1961年)からは現在の様に、4月20日以後の第一日曜日に出御、それから21日目の日曜日に還御となっています。

松尾祭「神幸祭(おいで)」(4月21日)


前日に松室に鎮座される摂社「月読神社」の御船社で、船渡御と道中での安全を祈願する御船社祭が行われます。
出御祭には松尾七社(大宮社、月読社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四之社)の神輿(月読社は唐櫃)が、ご本殿のご分霊を受けて、拝殿を三回廻った(拝殿廻し)後、順次社頭を出発し松尾・桂の里を通って、桂離宮の東北方から桂川を船で渡り、左岸堤防下で七社勢揃いし、古例の団子神饌を献じた後、四基の神輿と唐櫃とは西七条御旅所に、二基の神輿は西京極の川勝寺と郡の御旅所に至り、そこに3週間駐輦されます。
千年を越える歴史と伝統を誇る船渡御ですが、昭和38年(1961年)に諸般の事情から一時中断しましたが、氏子の方々の伝統の伝承への熱い思いにより昭和58年(1983年)に復活し、現在もその勇壮華麗な巡幸を見ることができます。

■式次第
一、発御祭    10:00
※祭典後各神輿に遷霊、拝殿回し
一、本社発    11:00頃
一、桂川右岸着  12:30頃
※到着後順次対岸へ川渡し
一、河原斎場祭  14:30前後
一、河原斎場発  15:00頃
一、各御旅所著御祭予定時間
三宮社 16:30頃
衣手社 18:00頃
西七条 17:00頃
※各御旅所に神輿到着後、祭典
(ご注意)
天候その他の事情により時間は前後します

松尾祭「還幸祭(おかえり)」(5月12日)


還幸祭には、3カ所の御旅所に駐輦されていた神輿と月読社の唐櫃とが、西寺跡の「旭の杜」に集合し、ここで古例による西ノ庄の粽の御供、赤飯座(あかいざ)の特殊神饌をお供えして祭典をした後、列を整えて 途中朱雀御旅所に立ち寄り、ここでも祭典、次いで七条通りを西に進み、西京極、川勝寺、郡、梅津の旧街道を経て、松尾橋を渡り、本社に還御されます。
この還幸祭は神輿渡御祭の中心で、今でも氏子中で「おまつり」と言えば、この祭を意味します。本社でも本殿、楼門、社殿、各御旅所の本殿、神輿から供奉神職の冠・烏帽子に至るまで、葵と桂で飾るので、古くから「葵祭」とも言われてきました。
昨今では賀茂両社(上賀茂・下鴨)の「葵祭」が有名ですが、秦氏との関係の深い当社や伏見稲荷大社にも同様の伝統が存在しています。
この神幸祭・還幸祭には、いずれも吉祥院地区から二組の稚児が「榊御面(さかきごめん)」の役を奉仕する例で、翁・嫗の面をつけた榊の大枝を奉持して先導役を務めます。また還幸祭には下津林地区から選ばれた稚児が「松尾使」として奉仕します。

■式次第
一、各御旅所発御祭
西七条  7:45頃
三宮社  8:00頃
衣手社  9:00頃
※祭典後旭日の杜へ各社出発
一、旭の杜発    12:45頃
一、朱雀御旅所着  14:20
※各社神輿到着後、祭典
一、朱雀御旅所発  15:00頃
一、本社着     17:30頃~
※到着順に拝殿回し、遷霊
一、著御祭     19:00前後
(ご注意)
天候その他の事情により時間は前後します

各社 御神輿のご紹介


◆宗像社(むなかたしゃ)
一千年以上前の文献に宗像社の記述があり、平安時代初期の由緒ある国史現在社である。宗像大明神を奉斎する松尾宗像社の卯ノ取り神輿は日本に一、二しかない八角のお堂を持つ。卯ノ刻の夜明けを告げんとする、元気旺盛な雄鳥の勢いよく高く翔ぶ姿から瑞鳥(めでたい鳥)として用いられた。
◆櫟谷社(いちたにしゃ)
嘉祥元年(848年)、従五位下の神階を授かり、二十年後正五位下に登叙されていることが「六国史」にみえる。また、式内社として延喜式の神名帳に載せられ、その注に「松尾末社」と記されている。明治十年(1877年)、同殿の宗像社と共に摂社となった。
◆大宮社 (おおみやしゃ)
松尾本社に祀られる二柱の神。大山咋神は、山末之大主神ともいわれ、山の上に鎮座され、山及び 山麓一帯を支配する神である。また市杵島姫神は宗像三女神の一柱で、古く水上の守り神の霊徳を仰がれる神である。
◆四之社 (しのしゃ)
「四の大神の秦氏」の意であるという。本社の祭礼に従事した秦氏の遠祖を 祀ったものと考えられる。この様に祖霊社的な意味合いを持つことから、 境外に独立の社はなく、古来より本社の境内に鎮まっている。 四季折々を司り、年中の平安を護る神で、舟渡御や巡幸の先頭を進む神輿。
◆衣手社 (ころもでしゃ)
歌枕で名高い「衣手の森」に鎮座し、洪水で社殿が跡形もなく流出した後は、 本社の境内末社として祀られていた。明治に至り、その衣手社(羽山戸神)を 郡三之宮社(玉依姫神)に合祀して、社名も衣手神社に改称し今日に及んで いる。
◆三宮社 (さんのみやしゃ)
秦氏の有力者 秦河勝に由来を持つ。古来豊かな川勝寺地域の産土神である。 玉依姫は、山城地方開拓の神・農業殖産の神であり、本社の大山咋神とは、 御夫婦の神である。他の二神が合祀され、「三之宮」と称したとも伝えらて いる。

松尾大社ご由緒


松尾大社は京都市内中心部から桂川を渡った四条通の西端に鎮座しており、平安神宮を中心に、東(青龍)が八坂神社、北(玄武)が上賀茂神社、南(朱雀)は城南宮が守護し、西(白虎)は松尾大社が守護しています。
また「賀茂の厳神(げんしん)、松尾の猛霊(もうれい)」とも称され、皇城守護の神として尊崇されている、京都において最重要な神社のひとつです。
御祭神は大山咋神 (おおやまぐいのかみ)と市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)<中津島姫命(なかつしまひめのみこと)の別名>の2柱です。
その起源は古く、太古の昔よりこの地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら)に祀って、生活の守護神として尊崇したのが始まりとされています。
5世紀頃、秦の始皇帝の子孫と称する)秦(はた)氏の大集団が、朝廷の招きによってこの地方に来住すると、その首長は松尾山の神を一族の総氏神として仰ぎつつ、新しい文化をもってこの地方の開拓に従事したと伝えられています。秦忌寸都理(はたのいみきとり)が文武天皇の大宝元年(701年)に勅命を奉じて、山麓の現在地に社殿が造営されました。
平安時代に清少納言により執筆された随筆「枕草子」第二八七段には「神は松の尾。八幡(やはた)、この国の帝にておはしましけむこそ、めでたけれ」という一節が記されるほど、当時から重要視されていた神社です。
松尾大社のある西京の地では神話の時代より酒造りが行われており、室町時代末期以降は「酒造第一祖神」として崇敬されるようになりました。卯の字は甘酒、酉の字は酒壺を意味していると言われ、酒造りは「卯の日」にはじめ、「酉の日」に完了する慣わしがあり、11月上卯(かみのう)日には醸造安全を祈願する「上卯祭(醸造祈願祭)」、4月中酉(なかのとり)日には醸造完了を感謝する「中酉祭(醸造感謝祭)」が行われ、日本各地の酒造関係者が参集します。
境内には全国の名だたる酒造会社から奉納された酒樽が並んでおり、その光景は圧巻です。境内にはお酒の資料館もあり、無料で見学ができます。
松尾大社の庭園・松風苑(しょうふうえん)は、昭和を代表する作庭家・重森三玲(しげもりみれい)の設計で「曲水の庭」、「上古の庭」、「蓬莱の庭」の三庭からなり、重森三玲氏の遺作となった傑作庭園です。

(掲載日:2024年3月29日 情報提供:松尾大社

エリア名西京
イベント名松尾祭・神幸祭(おいで)、還幸祭(おかえり)
開催場所松尾大社境内および周辺一帯
所在地京都市西京区嵐山宮町3
アクセス阪急嵐山線松尾大社駅下車すぐ、京都駅から京都市営バス28系統または京都バス73・ 83系統乗車、松尾大社前下車すぐ、京阪三条から京都バス63系統乗車、松尾大社前下車すぐ
※松尾祭当日は交通規制が実施されます。バス路線は経路変更での運行、停留所の休止・移設がありますのでご利用の際は十分ご注意ください。
開催日時神幸祭:2024年4月21日(日)10:00~17:00頃
還幸祭:2023年5月12日(日)7:45~19:00頃
TEL075-871-5016
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