勧修寺の紅葉~借景庭園の紅葉と秋に咲く不断桜との競演(京都山科)

勧修寺(かじゅうじ)は、藤原氏と皇室ゆかりの寺院で真言宗山階派の大本山。
醍醐天皇が母である藤原胤子の菩提を弔うために創建されました。
皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院で厚い庇護を受けて栄えましたが、たび重なる戦火で衰退し、江戸時代に徳川氏と皇室の援助により復興されてからは法親王が暮らす門跡寺院となりました。
宸殿や書院はこの時に明正天皇の旧殿を賜ったものです。
【紅葉の見どころ】※見頃は例年11月中旬~下旬
秋には庭園の氷室の池の周りの楓が東山連峰を借景に、書院や宸殿が色とりどりのモミジに彩られます。
紅葉の終盤には苔の上の敷き紅葉も一見の価値があります。また、観音堂の近くには春と秋に2度花が咲く「不断桜」があり、紅葉と桜を同時に観賞できます。
樹齢約750年のヒノキ科の常緑低木「ハイビャクシン(這柏槇)」や徳川光圀の寄進の「勧修寺型灯籠」とも呼ばれる雪見灯籠と紅葉とのコントラストも見ごたえがあります。

紅葉と桜の競演

勧修寺の庭園には10月に咲き始め、春まで咲き続ける不断桜(十月桜)が植えられており、紅葉狩りと桜の花見が同時に楽しめます。
ソメイヨシノのように桜花爛漫のような派手さはありませんが、真紅の紅葉と薄紅色の桜の競演は一見の価値があります。

玉の輿伝説発祥の地

勧修寺は「玉の輿」の語源となった地で、平安ロマンスの伝説の場所です。
今昔物語集の説話によると、藤原高藤(たかふじ)が鷹狩りの際、偶然出逢った地方役人・宮道弥益(みやじのいやます)の娘、列子(たまこ)の美しさに見惚れ紆余曲折の後に正妻としました。
二人の間に生まれた娘・胤子(つぎこ)が、宇多天皇の皇后になり、生まれた長男が醍醐天皇となりました。
このことから、婚姻などにより富貴な身分を得ることを「玉の輿」に乗ると言われ始められたとされます。
勧修寺の由来は、宮道弥益の邸宅が寺に改められ、高藤の諡号から勧修寺と名付けられたそうです。勧修寺に隣接して、藤原高藤と宮道列子を祀る「宮道神社」(みやじじんじゃ)が鎮座しています。
「玉の輿」伝説にあやかり、縁結びに御利益があると若い女性を中心に参拝者が絶えない人気の神社。
源氏物語の作者・紫式部は、藤原高藤と列子の子孫にあたります。
作中に登場する光源氏と明石の君の恋物語は、高藤と列子の身分差の恋物語をモデルにしたとも言われています。
■宮道神社(京都市山科区勧修寺仁王堂町17-1)
拝観料は無料(境内自由)
※googleマップ https://maps.app.goo.gl/TG1cQnctJLqyq2xR7

(情報提供:とっておきの京都プロジェクト事務局)

エリア名 山科
スポット名 勧修寺
所在地 京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6
拝観時間 9:00~16:30(16:00受付終了)
拝観料 大人:500円、小中学生:300円
※11月1日~10日は、京都非公開文化財特別公開のため拝観料・拝観時間が異なります(大人:1,000円、中高生:500円)
アクセス 地下鉄東西線小野駅下車、徒歩約7分
TEL 075-571-0048