隨心院「名勝 小野梅園」はねずの梅とはねず踊り~小野小町ゆかりの寺院~(京都山科)

随心院(ずいしんいん)は京都市山科区小野郷にある、真言宗善通寺派の大本山。小野郷は、小野妹子をはじめとした小野氏一族の本拠であった地。世界三大美女のひとりで絶世の美女として知られる「小野小町」は、宮中で仁明天皇に仕え、晩年をこの地で過ごしたと伝えられています。境内には、小町の晩年の姿とされる卒塔婆小町像、深草少将をはじめ、多くの貴公子から寄せられた千束の文(恋文)を埋めた文塚、小野小町が朝夕に顔を洗った水が湧く化粧井戸など「小野小町」ゆかりの遺跡が数多く残っています。

小野梅園「はねずの梅」は京都市内きっての遅咲きの梅

境内の名勝・小野梅園には約200本もの梅の木があり、2023年は3月11日(土)から26日(日)まで一般公開されます。例年、2月末から咲き始め3月中旬が見頃となり、京都市内でも遅咲きの梅として知られています。山紅梅、白梅、薄紅梅などの種類があり、最も多い薄紅梅の色を古来より「はねずいろ(朱華色)」と呼ぶことから「はねずの梅」とも呼ばれています。今年は約4年ぶりに「はねず踊り」が26日に開催予定となっています。
朱華色とは唐棣色とも書き、庭梅またはザクロの花の古名で白みを帯びた薄い紅色が特徴。天武天皇や持統天皇の頃は親王や諸王の衣装の色とされ最高位の色でした。朱華色は褪めやすいことから、万葉集などの和歌では「移ろいやすい」ことの枕詞に用いられるほどです。朱華色は古今和歌集に納められ、百人一首に採られている、小野小町の代表的な和歌「花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」に通じるものがあります。

はねず踊り~はねず色の衣装に身を包んだ少女の華やかな踊り~


はねず踊りは、華やかなはねず色の衣装に身を包んだはねず踊り保存会の少女が、小野小町を慕って「百夜通い」をした深草少将の伝説に節をつけた唄にあわせ、紅梅を花笠にして舞い踊ります。その昔、小野郷の少女らが家々を回って門前で踊っていたと伝わっており、現在の踊りは昭和48年に復活したものです。はねず踊りは午前11時から4回行われ、前日には奉納舞が実施されまます。はねず踊りは、3月の第4日曜行われます。
■実施日:2023年3月26日(日)
■はねず踊り:11:00~、12:30~、13:30~、15:00~
■3月26日の小野梅園入園料は1,000円になります

隨心院ご由緒

随心院は弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海(にんがい)僧正の開基にして、一条天皇の正暦2年(991年)奏請して、この地を賜り一寺を建立されました。古くは牛皮山曼荼羅寺(ごひざんまんだらじ)と称されました。仁海僧正一夜の夢に亡き母が牛に生まれ変わっていることを見て、その牛を鳥羽のあたりに尋ね求めて飼養しましたが、日なくして死に悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を画き本尊にしたことに因んでいます。牛尾山は仁海僧正が牛の尾を山上に埋めて、菩堤を弔ったと伝えられています。
また、仁海僧正は深く宮中の御帰依を受け、勅命により神泉苑(歴代の天皇が行幸された宴遊地で、弘法大師空海が雨を祈った霊場)に請雨の法を9回おこない、その度に霊験があって雨が降ったので雨僧正とも称されました。その後、第五世増俊阿闍梨(ぞうしゅんあじゃり)の時、曼荼羅寺の子房として隨心院を建立し、ついで第七世の親厳(しんごん)大僧正が、寛喜元年(1229年)後堀河天皇より門跡の宣旨を賜り、以来隨心院門跡と称されています。
堂舎も次第に整備され七堂伽藍は壮美を誇っていましたが、承久應仁の兵乱にあって灰燼に帰してしまいました。その後、慶長4年(1599年)に本堂が再建され、本尊の如意輪観世音菩薩と諸仏が安置されています。以後九条・二条の両摂家より門跡が入山し、両摂家の由緒をもって寄進再建されました。宝暦年間に、九条家の寄進によりに建造された「能の間」には、はねず色を基調とし、小野小町の一生を描いた4面の襖絵「極彩色梅色小町絵図」が奉納されています。

スポット情報

エリア名山科
スポット名隨心院
所在地京都市山科区小野御霊町35
アクセス京都市営地下鉄東西線小野駅下車、徒歩約5分
小野梅園小野梅園開園:3月11日(土)~3月26日(日)9:00〜16:30
入園料:大人(300円)、小学生以下無料
※3月26日は「はねず踊り」を開催 大人1,000円、中学生800円(拝観・梅園入園料を含む)
拝観料大人:500円、身障者:400円、中学生:300円、小学生以下無料
拝観時間9:00〜17:00(最終受付16:30)
TEL075-571-0025
URLhttps://www.zuishinin.or.jp/

(掲載日:2023年2月3日 情報提供:とっておきの京都プロジェクト事務局