京都山科 六所神社(上花山) 夏越の大祓 茅の輪くぐり

DATE 06月30 2025 - 06月30 2025
TIME 9:00 AM - 5:00 PM

上花山(かみかざん)にある六所神社(ろくしょじんじゃ)は、山科惣触頭である比留田(ひるた)家により地域の守り神として創建された上花山住民の安寧の拠り所として尊崇される神社。
夏越の大祓(なごしのおおはらえ)にあわせて、境内に「茅の輪(ちのわ)」が設置されます。参拝者は各自ご自由に茅の輪をくぐり、邪気を取り祓い、無病息災を祈願いただけます。
一年の半分にあたる6月の晦日に行われる神事「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」にあわせて境内に「茅の輪(ちのわ)」が設置され、参拝者は各自ご自由に茅の輪をくぐり、邪気を取り祓い、無病息災を祈願いただけます。
夏越の大祓とは、一年の半分にあたる6月の晦日に行われ、半年の間に身に溜まった穢れを落とし、残り半年の無病息災を祈願する神事。


<茅の輪くぐりの由来>

茅の輪くぐりは「夏越の祓」にて茅の輪をくぐって罪や穢れを落とす祓の行事です。茅の輪は、茅(ちがや)という、イネ科の植物を編み作られた人の背丈よりも大きい輪のことです。スサノオノミコトの神話に由来すると言われています。
神代の昔、蘇民将来(そみんしょうらい)と巨旦将来(こたんしょうらい)という兄弟がおり、兄の蘇民将来はとても貧しく、弟の巨旦将来はとても裕福でした。
ある日、素盞嗚尊(すさのおのみこと)が、旅の途中に巨旦将来に一夜の宿を求めたところ、冷たく断りました。一方、蘇民将来は、貧しいながらも、快く宿と食事の提供をしました。
翌朝、お礼として蘇民将来に茅の輪を与え「腰に付けておれば、疫病から免れることができるであろう」と言い残して旅立ちました。その数年後、疫病が流行した時に、巨旦将来の一族は疫病で滅んでしまいましたが、蘇民将来の一族は疫病から逃れて繁栄し、子孫も栄えたと伝えられています。
時代が流れ、腰に茅の輪をつけるものから、茅の輪をくぐるものに変化したとされています。なお、茅の輪のくぐり方は、神社ごとにその作法は異なります。
【茅の輪のくぐり方】
(1)正面にて一礼。茅の輪をくぐり左へ回ります
(2)正面に至り一礼、茅の輪をくぐり右へ回ります
(3)正面に至り一礼、茅の輪をくぐり左へ回ります
(4)正面に至り一礼、もう一度くぐり、そのまま社殿へ進み御参拝ください
「水無月の なごしの祓する人は ちとせの命 のぶといふなり」という和歌を唱えながら、左まわり・右まわり・左まわりと八の字を描くように3回くぐり抜けます。
この和歌は、三代集(さんだいしゅう)のひとつ「拾遺和歌集」に選ばれた歌です。三代集とは「古今和歌集」、「後撰和歌集」、「拾遺和歌集」の3勅撰和歌集の総称です。

六所神社(上花山)ご由緒

六所神社は、この地の有力者である比留田(ひるた)氏により江戸時代の天文12年(1543年)に創建。但した、一説によると平安時代末期には、すでに創建されていたとも言われています。
江戸時代、山科は皇室の直轄領(禁裏御料)であり、山科郷士の比留田氏は禁裏御家人の筆頭格(山科惣触頭)として庄屋・年寄のうえに君臨していました。
御祭神として、熊野三所大神(くまのさんしょおおみわ)の家都御子大神(けつみみこのおおかみ)、速玉大神(はやたまのおおかみ)、夫須美大神(ふすみのおおかみ)の三柱の神、稲荷大神(いなりおおかみ)、松尾大神(まつのおおおかみ)、日吉大神(ひよしおおかみ)、八幡大神(はちまんおおかみ)の六神をお祀りしています。
昭和47年(1972年)には上花山水利組合をはじめ氏子や篤志家の浄財により本殿を再建、あわせて祝詞舎及び社務所を新築、昭和55年(1980年)には氏子崇敬者の尽力により、末社新築、社務所増築、境内整備をしています。
なお、山科には上花山と北花山の2か所に六所神社があり、上花山は六所神社(北華山)、北花山は六所神社(北花山)と記載されることが多くあります。

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(情報提供:とっておきの京都プロジェクト事務局)

エリア名山科
イベント名 六所神社 夏越の大祓 茅の輪くぐり
開催日2025年6月30日(月)
開催場所六所神社(上花山)
所在地京都市山科区上花山旭山町14
アクセス五条京阪(清水五条駅)から京阪バス醍醐ターミナル行(84・88B・312)に乗車、京都駅八条口から京阪バス(311・312)に乗車、上花山久保町下車徒歩5分
拝観料境内自由