京都西京「樫原弁財天」一年一度だけ御開帳される秘仏
京都市西京区の樫原(かたぎはら)は、山陰街道(※1)と物集女街道(※2)が交差する古代からの交通や物流の要衝で、江戸時代には宿場町と本陣(公家や参勤交代の大名の休憩・宿泊場所)が置かれ栄えた町です。
現在でも江戸時代さながらの虫籠窓の建物が残り、本陣や郷倉などの建物が現存保存されています。
この旧山陰街道沿いの街並みは、京都市の「西京樫原界わい景観整備地区」に指定されています。
なかでも「樫原本陣」は本陣遺構として京都市内に唯一現存する歴史的建造物で平成4年(1992年)、京都市指定有形文化財に登録された貴重な遺構です。
また、京都市内で最大級の前方後円墳「天皇の杜古墳」、白鳳時代に創建された古代寺院跡「樫原廃寺跡」など、古代の神秘的な文化財も残っています。
樫原地区の総鎮守社「三ノ宮神社(樫原三ノ宮神社)」の境内には、地名(樫原)の由来にもなった樫(かしのき)の古木があります。
樫原本陣の裏を入った場所に弁天池(ため池)があり、その畔の小さなお社の弁天堂に「樫原弁財天」が祀られており、毎年夏に氏子の方々による「弁天さんの祭礼」で、1年1回の御開帳が行われます。
【注釈】
※1:京の七口のひとつ、丹波口を起点として丹波を経て山陰地方の津和野、山口を通り、周防国の小郡(山口市)で西国街道に合流する五畿七道のひとつ。
別名として、山陰道、山陰路、丹波街道、丹州街道、丹波路、丹州路とも呼ばれる古代から現代にいたるまで主要な街道。
※2:向日市寺戸町で西国街道と分岐し、物集女(もづめ)を経由して樫原で山陰街道と連絡する街道。現在の府道西京高槻線にあたる道。
樫原弁財天1年1度の御開帳
弁天さんの祭礼は毎年夏に檀家の方々が持ち回りで行われています。
2024年の祭礼は、7月15日に築130年の古民家カフェ「Cafe Charmy Chat(ちゃーみーちゃっと)」を会場に行われました。
祭礼では、弁天池の祠から移動いただいた弁天様を床の間にお祀りし、僧侶が読経し供養を行った後、厨子を開け弁天様を御開帳します。
1年に1度、数時間しか厨子から出さないため、仏像には美しい色彩が今なお残っています。
仏像の制作年は不詳ですが、慶応元年(1865年)に「お堂の屋根が破損し修理した」と祭礼の記録にあることから、少なくとも160年以上年前から祀られています。
樫原弁財天は、8本の腕(臂)を持つ、八臂(はっぴ)弁財天で、手には宝珠・剣・戟(げき)・鉤(かぎ)・輪宝・宝棒・弓・矢を持ち、頭頂部には、宇賀神(うがじん)と鳥居を構える、宇賀弁財天のお姿をされています。
宇賀神(うがじん)とは、古くから人間に福徳をもたらす神として信仰されていた蛇の体に人間の顔を持つ神様で、財福の神、食物神・農業神ともされています。
仏教の神(天)で、幸福・利益・知恵・財力の神とされている弁財天(弁才天)と習合あるいは合体したとされ、宇賀神が弁財天の頭頂部に小さく乗る弁財天は「宇賀弁財天」とも呼ばれています。
檀家の方によると、かつて弁天さんの祭礼日には露店や屋台が出たり、演芸や紙芝居などの余興も行われるほど多くの人々が参加し賑やかなお祭だったそうです。
※樫原弁財天の写真提供、および御開帳の情報提供:HOTSUU
樫原本陣
樫原本陣は、本陣遺構として京都市内に唯一現存する歴史的建造物です。
江戸時代の寛政9年(1797年)の大晦日に類焼したため、現在の主屋は寛政12年(1800年)に再建されたときのものです。
内部の一部には大きく手が加えられていますが、西面・正面寄りの各室は改造が少なく、中でも西列最奥の6畳は床を一段上げて「上段の間」として造られ、「上段の間」の南に続く「二の間」「三の間」を合わせた3室は書院造りの構成となっており、本陣座敷としての様式を整えています。
また、主屋の後方にある土蔵は、棟札により明和3年(1766)に建てられたものであることが判明しています。
玄関の間にある天井板には、当時の宿泊客である大名の名前を掲げる、筆太に書かれた「高松少将御宿」「松平伯耆守御宿」などの宿札が貼られています。
「上段の間」の柱は全て茶室などに用いられる面皮柱が用いられ、欄間・床・違い棚を備えています。上段の間の横の二の間の左手は金色の襖になっており、有事の際には護衛が出てこれるための隠れ間も存在します。
※通常は非公開で一般公開をしていません
樫原三ノ宮神社
樫原(かたぎはら)地区の総鎮守社で、境内には地名の由来にもなった樫(かしのき)の古木がある。創祀は不明で、古くは柏原神社とも呼ばれていました。
御祭神は、素戔嗚尊(すさのうのみこと)、酒解神(さかとけのかみ)、大山咋神(おおやまくいのかみ)の三神です。
平安時代の武将・源頼光(みなもとのよりみつ・らいこう)が大枝山(大江山:現在の老ノ坂)に出る鬼(酒呑童子)に、社前にあった御神酒(神便鬼毒酒)を飲ませて酔いつぶし、退治としたという伝説が残っています。
本殿は、昭和49年の第60回神宮式年遷宮により伊勢神宮から下賜されたもの。
拝殿には、だるま商店(※3)による巨大な天井画「おおえ山の鬼退治」、「素戔嗚尊の八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治」、「幕末に起こった禁門の変(蛤御門の戦い)で戦死した三烈士」が奉納されています。
※3:絵師・安西智とディレクター・島直也の二人による絵描きユニット。主な作品として、随心院の襖絵「極彩色梅匂小町絵図」がある。
(情報提供:とっておきの京都プロジェクト事務局)
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