伏見横大路 飛鳥田神社♪かつての通称は「嶋瀉弁才天」金運・財運の御利益

飛鳥田神社(あすかたじんじゃ)は、別雷神(わけいかづちのかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を御祭神とした旧横大路村の産土神です。
確かな創建年は不明ですが、平安時代に編纂された歴史書「日本紀略」には飛鳥田神社についての記載がみられ、伝えられるところによれば飛鳥時代に横大路に宮を造り、別雷命を勧請したとされています。
摂社として、石神社(いわがみしゃ)、出雲社、稲荷社、春日社、貴船社、祇園社、八幡社が祀られています。
平安時代の法制書・廷喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に「一名柿本社」とあることから、横大路柿ノ本町に建つ飛鳥田神社が式内社である可能性は十分に考えられるが、式内社飛鳥田神社であるかどうかについては明確ではない。
江戸時代の享保19年(1734年)に幕府により編纂された「山城志」に記された上梁文から、室町時代の応永25年(1418年)に社殿が造営され、その後幾度となく修復や境内整備がなされています。
鳥居には「慶安五壬申年(一六五二)嶋瀉弁才天御宝前」、手水鉢には「嶋瀉弁才天・御宝前・明暦三年(一六五六)・五月曰」の刻銘がみられます。
覆屋のなかに建つ本殿は大型の一間社流造の建物で、建築年代に関する史料を欠くものの、全体に木割が太くて装飾が少ない点、また饕股(かえるまた)や実肘木(さねひじき )・虹梁(こうりょう)の形状などから、境内の整備が行われた17世紀半ば頃までに造営されたものと考えられています。
一部改変を受けているものの当初の姿を著しく損なうものではなく、柱頭に舟肘木(ふなひじき)を落としこんで柱が直接桁を支持するという特異な手法が採用されている点に特色がみられます。

かつての通称は嶋瀉弁才天

飛鳥田神社は、主要道の旧国道1号線(旧京阪国道:府道13号京都守口線)に面していますが、こちらの道路からの参道はありません。
道路とは反対側の北から南に向かって参道が続いています。旧国道1号線は昭和8年の完成であり、それ以前の主要道は、京都と大阪を結ぶ桂川沿いの鳥羽街道(千本通)で、この道から南下するルートが参詣道でした。飛鳥田神社の御旅所(※)は鳥羽街道沿いにあります。
鳥居からまで本殿までの参道には、神社の歴史と風格を感じることができる常緑樹の並木道が続いています。
神社の祭礼(神幸祭)において、本社より出た御神体(神輿)が巡行の途中に休憩や宿泊のため仮にとどまる場所、あるいは神幸の目的地。

飛鳥田神社の御祭神に、市杵島姫命が合祀られていることから、かつては「嶋瀉弁才天」とも称されていました。
筑紫(福岡県)の宗像大社(むなかたたいしゃ)に祀られている市杵島姫命は、宗像三女神の内の一柱で、神仏習合の本地垂迹(ほんじすいじゃく)説(※)の考えより「弁才天(弁財天)」と同一視されていることから、仏教の弁財天と同一神とされ「嶋瀉弁才」と呼ばれていたと考えられます。
「瀉」の字には、水を注ぐ、水を流す、水が流れ出るの意味があります。
飛鳥田神社が鎮座する、旧横大路村には淀川と桂川を利用し大阪と京都を結んでいた水運の要衝・草津湊(くさつみなと)が明治時代まで存在していました。
また、桂川の南側には巨大な横大路沼があり、排水や用水路として地域全体に網の目のように水路が張り巡らされていました。
市杵島姫命を祀る宗像大社は、海上交通安全の守護神で、治水や水上安全の神様としても古くから崇められていることから、飛鳥田神社に勧請されたと推測されます。
弁財天には芸術・音楽の才能上達、金運・蓄財の守護神として、水難の守護神として御神徳があるとされています。
仏や菩薩が衆生を救うために神の姿を借りて現れること

(情報提供:とっておきの京都プロジェクト事務局)

エリア名伏見
スポット名飛鳥田神社
所在地京都市伏見区横大路柿ノ本町11
拝観時間24時間
拝観料無料(境内自由)
アクセス京阪中書島駅から①京都市バス20系統(南横大路・京阪淀駅)乗車、落水高校前下車徒歩約分、②20系統(免許試験場・京阪淀駅)乗車、府道横大路下車徒歩約4分、③南8系統乗車、横大路下車徒歩約5分